骨伝導イヤフォンのSF感を起点に「話し言葉と書き言葉」の意味と立ち位置について考えた
骨伝導イヤフォンのSF感を起点に「話し言葉と書き言葉」の意味と立ち位置について考えた。
骨伝導イヤフォンを買ったのは、勝間和代氏が強くすすめていたというのがいちばんの理由だ。約2万円の出費は大きいなと思ったが、リモートワークが本格化して自宅でZOOMを使ったミーティングを行うことが非常に多くなったため、イヤフォンというギアの重要度がぐっと上がったためだ。
これまでアップル純正のAirPodsを使っていたのだが、夕方になると、また長い会議に出席すると途中でMacとのコネクションが切れてしまい、会議の音声が外に聞こえてしまう。
家族も同室で仕事をしているので、会議のバカバカしさが露呈してしまうようで恥ずかしいこと極まりない。
使ってみるとこれが快適で、少し未来っぽい感じ。大変軽く、違和感もなく、装着していることを忘れそうだ。
耳自体はオープンで外の音が聞こえたまま、イヤフォンからの音が入ってくる感じがテレパシーというか、脳に情報を注入されている感じがあって、私はこれがSFっぽく感じる。
オーディブル(ユヴァルノアハラリの本)を聴きながらJOGしてみた。テキストってリニアだな、と改めて感じたし、話し言葉と書き言葉が空から海から近づいて来てマージしていくような感覚を持った。オンラインのコンテンツと表現が充実してくるにつけ、テキストは書き言葉である必要がなくなったが、一方で話し言葉としての言葉の重要性が高まっているかたち。
それはもともと同一のものであって、ストーリーである必要がある。