いやおうなしに世の中のことを考えざるを得ない状況
休みまくってはじめて文化的な生活とは何かがわかった感じがする。
休みまくってはじめて文化的な生活とは何かがわかった感じがする。
毎日8時間寝ると頭がスッキリするし、三食ちゃんと食べて、運動もして、家族で過ごして、もしかしたらこれがニューノーマル?メディアで見聞きしてきたような北欧とかのライフスタイルってこんな感じなんじゃないかな。
The Economist もずっととってるけど、ちゃんと数記事以上まとめて読めたのははじめて。新聞も毎日割と読めてる。情報は取らなきゃって思って、購読してるけど、仕事でぱんぱんすぎるときって、見出しを見るのがやっと。読んで理解して、じっくり考えて、じぶんの意見をもつってところまで行こうと思ったら「そこそこ時間がかかる」ということがよーーく分かった。況んやアウトプットをや。
なんか、こんな感じで、たくさんの人が地に足についた生活ができるようになって、ちゃんとした市民意識が根付いて、世の中がよくなればいいのになと思う。
(甘いと誰からも言われそうだけど)。
知的でいるには、知的で自立した社会人でいて、文化的な生活を送るにはすっごくゆとりが必要だと分かった。必要なのはお金というよりもむしろ時間。
たすくまを使い始めて気づいたこと
「時間が足りない」という永遠の課題を解決したくて「たすくま」を使い始めてみた。
結論から言うと、人生のじかんは残りわずかだと気づいた。手持ちじかんはとっても少ない。だから有意義に過ごさないと。やりたくない仕事はやめないと。あるいは私が嫌いな仕事は、それが好きな人にやってもらうようにしなくてはいけない。私がやりたくない仕事が好きな人がいないなら、見つけないと。
一日のうち、じぶんのために使える時間はとても少ない。睡眠をしっかりとって、必要な用事をして、食事をして、ある程度の運動じかんを確保したら、本当にちょぴっとしかあまり時間がない。仕事のある日は本当に時間がない。通勤時間なんてもってのほかだった。
仕事中のじかんの使い方にしても、たぶん、ちゃんと管理していなかったから、ぼんやりと甘く見積もって、あれもこれもできるような気がしていたけど、じかんをつけ始めてから、「やれることは本当に限られている」ということを痛いほど感じている。
家事や運動や家族との時間といった、快適に過ごすために必要なことを順に片付けていくと、読書などじぶんの人生を豊かにする時間はほんのわずか。逆算して、後何冊本が読めるんだろう、という方向からそろそろ考えないといけなさそう。
強い人について
強い人がいる。仕事をしていると、この人は強いな、と感じる人がいる。頭がよくて強い人はなかなかすごい。頭がよくて、強くて、感じがいい人は最強だ。
最近仕事で関わりを持っているKさんと話していると、ああ、この人は「強い人だなあ」と思う。とっても感じがいいし、アイディアはだいたい正解、自分でプロジェクトをどんどんすすめていくが、その方向が「関わる誰にとっても正解」という地点を目指しているのがよくわかるので、だれも彼をじゃまない。
モラル的にも正しく、ビジネスとしても正解。彼本人が面白がってプロジェクトを推し進めているのがよくわかる。とても感じのいい人なんだけど、急いですすめたいときには独特の「圧」を感じる。中途半端な発言をすると、爽やかにすっぱりと押しやられる感じ。私の中途半端な発言の数十倍、彼は先回りして考えているというわけだ。
「そのことについては、俺がいちばん考え抜いた」状態でくるので、太刀打ちできない。直感もすぐれているのだと思うが、考え抜く体力もすごくあるのだと思う。それを支える深い教養と、フィジカルな意味での体力と。
彼をみているとわたしは「政治家」を思い出す。仕事のなかでときどき国会議員の人と話す機会がある。テレビに出てくるような要職で有名な人と向き合うと、よく似た「圧」をじわっと感じる。
職業やいろいろな局面を通り抜けたことで、後天的に身につくものと、先天の気、いろいろあるんだろうけどこのような「強い人」であることが、リーダーには必要だな、と思う。
強さのうちわけを因数分解して考えてみたい。
フィジカル、見た目、思考、教養、速さ、ゴールの設定、ゴール提示、計算、明るさ、圧、のような要素が、うちわけとしてある。
強さが何に立脚しているかも大事。知っている営業マンで、直感力と感覚、フィジカルに自信があって思想が保守的な人がいる。よりどころがわりとひらべったい保守思想のようなやつで、立脚しているところが自分自身の深い思考ではないので、深い思考を求められる局面になると、そうそうに離脱するシーンをなんども目撃。「それが何かわかって、売るところをやればいい」と、職業的には問題がないし、正しい姿勢な気もするが、大きな仕事はできないだろうと思う。
酒やめて1ヶ月。カフェインをやめるのは、ちょっと難しいかも。でも試してみたい
酒をやめて1ヶ月以上たった。いつからだったか、記録しておけばよかったと思うけど、もう1ヶ月は確実に経ってる。金曜の夜なんかは、外食にせよ、家で食事するにせよ「さあ飲むぞ」という気持ちで帰宅していたし。自分が飲む分は自分で買って帰るのが常だった。
1ヶ月たつと、人が飲んでいるのをみても「飲みたい」と思わなくなった。ノンアルコールのビールで人工的な材料が入っていないやつで満足できる(ようになった)。中途半端にお酒を控えているときは、このノンアルコールビールでは全然満足できなかったんだけど、やめてから時間がたってからは、このドリンクの飲み物としてのおいしさを楽しめるようになった。
家族以外のひとに、フィジカルな場では会わない期間が続いているので、会食等もないので、続けられているのだと思うが、せっかくなので一生続けたい。
寝つきもよくなったし、イライラしにくくなった気がする。眠りも深くなったと感じている。
そこで。タバコもやめて、お酒もやめたんだから、次はカフェインだ。今は特に眠りの質をよくすることに関心がある。昨日の夜、明日からやめよう、と思っていたんだけど、月曜の朝の頭のぼんやり感を解決したくて、どうしてもコーヒーが欲しくなった。
少なくともコーヒーをはじめ、カフェイン入り飲料を飲むのは午前中だけ、というルールから始めてみようと思う。
眠りの質をよくするためにカフェインをやめたいわけだけど、朝の頭をすっきりさせるために、先にたくさん眠ることから始めた方がいいのかもしれない。
オーディブルは私には合わなかった(のかもしれない)
ジョギングのときや家事をするときにいいかな、と思ってオーディブルに登録してみたが、なんかあまりフィットしない。
ユヴァル・ノア・ハラリの「21世紀..」を初回無料で聞いてみてるんだけど、選んだコンテンツが今の自分にフィットしていないだけかもしれない。
ユヴァルのTEDスピーチがEye Opening で「サピエンス」がすっごい面白くて、世界の見方を変えてくれる一冊だったから、次も読もう、で洋書はかってたんだけど。(メディテーションのところだけ読み終えてた。)
読み手の声とかトーンが気分じゃないのかもしれないし、ビジネス書とかそういうのを聞き流すのがいいかなと思ってたんだけど、どっちかというと、小説をラジオドラマのように楽しむのがいいのかもしれない。
楽しむ方、味わう方の読書ができていないのも寂しいんだけど、効率的な読書、ビジネス寄りの知識や教養をみにつける系の、を効率的に行うのはなかなか難しい。
Kindleの読み上げ昨日はロボット声すぎてうけつけなかった。
オーディブルを自分が上手に使えるのかどうか、しばらく検証してみたい。
追われるのがいちばんよくない
追われるような気持ちで仕事をしているときって、いちばんよくない。
どういうときにそうなるかを点検してみることにする。気持ちが追われてしまうときの、状況や環境はの条件はいくつかありそうだ。
1. 仕事の量が多くて、それぞれの課題や状況がクリアになっていないとき。
→それぞれの課題について明確に言語化できていない。
→いつ、誰が、何を、どうやって、で整理がついていない。
→具体的な実行計画に落とし込めていない。カレンダーに日付を入れるところまで整理できていないとき。
2. 突発的な事故が重なったとき。
→取り組むべき仕事について、外野や関係者から沢山注文が入って「やらされ仕事」みたいになってくると、自分のなかで主体性というか中心感覚が鈍ってきて、気分が悪くなる。パフォーマンスも落ちる。
→1のケースと同様に、一時的に整理がつかなくなって焦る。
→混乱した状態のまま、進行し始めたりしてさらに焦ったりする。
1と2を解決する方法はシンプルで、余裕を持つこと。これにつきる。余裕を持ち過ぎるほど持つこと、備えること。あと、常にゴールをみておくこと。
もうひとつ大事なのは、寝ること。フィジカルなコンディションが整っていないと、リカバーが難しい。